シアトルでロルフィングのメンタリングを受けていたときのことです。
胸郭へのアプローチをテーマにしたデモンストレーションの最中、忘れられない出来事がありました。

モデルになったのは、受講生のアメリカ人女性。
講師は彼女を立たせ、ボディリーディング(姿勢と構造の観察)を始めました。
しばらく身体を見たあと、講師はこう言いました。
「ワイヤー入りのブラジャーね。これは胸郭には良くないわよ」
その言葉に、周囲の参加者たちが同調し始めました。
「どうしてワイヤー入りなの?」
「やめたほうがいいのに」
彼女は戸惑い、言葉を失っているように見えました。
その姿を見て、私は思わず口を開いていました。
「なぜワイヤー入りのブラがいけないんですか?
私もワイヤー入りでないと支えが足りないんです」
会場の視線が一斉に私に向きました。
英語で意見を伝えることは簡単ではありませんでしたが、続けました。
「胸の大きい人にとっては、ワイヤーは“締めつけ”ではなく“支え”になることもあります。
日本製のブラジャーは品質が高く、身体に負担をかけにくい設計のものも多いんです。
知らないまま一括りに否定するのは違うと思います」
私は彼女のそばに行き、背中のラインを示しながら説明しました。
本当はもっと伝えたいことがありましたが、語学力が追いつかず、そこまでが精一杯でした。
しばらくの沈黙のあと、参加者の一人が言いました。
「ロルファーになるの? それともブラジャーを取るの? どっちなの?」
その言葉に胸が締めつけられましたが、私は答えました。
「両方です」
身体を整えることと、支えることは対立しない
私はロルファーになる前、補整下着に関わる仕事をしていました。
胸が大きい私は、自分の身体に合うブラジャーを長年探し続けてきた経験があります。
締めつけて形を変えるものではなく、
構造を助け、負担を減らす“支え”としての下着。
その感覚を、私は身体で知っていました。
アメリカでは、特にボディワーカーの間でノーブラの人も多く、
それが「胸郭の自由」と感じられている場面もありました。
けれど私は思っています。
胸郭を自由にすることと、支えがいらないことは同じではない。
適切な支えがあることで、
余計な緊張が抜け、結果として自然な構造に戻りやすくなる身体もあります。
ロルフィングは、身体が本来持っている秩序を取り戻すアプローチです。
それは外から形を強制することではなく、
その人の構造にとって無理のない状態を見つけていくプロセスでもあります。
衣類や道具もまた、
その人の身体を抑え込むものにもなり得ますが、
逆に構造を助ける存在にもなり得ます。
あの日の私は、ブラジャーを擁護したというよりも、
「その人の身体に合った選択をする権利」
を守りたかったのだと思います。
身体は一人ひとり違い、
文化や生活習慣、体格によって必要な支えも異なります。
ロルフィングが大切にしているのは、
「正解を当てること」ではなく、
その人の身体にとっての“より自然なあり方”を見つけること。
あのシアトルでの出来事は、
私にとってその原点を再確認した瞬間でした。
シアトルでのこの出来事は、私の身体の見方を大きく変えました。
帰国後、日本人の身体に向き合う中で見えてきたことについては、また書いてみたいと思います。


