最近、絨毯のことを考えています。
理由はシンプルで、旅の予定があるから。

10月にカッパドキアを訪れる予定があり、
その行程の中に、絨毯屋さんを訪ねる時間が入っています。
「良い出会いがあれば買えばいい」
最初はそんなふうに、軽い気持ちでいました。

けれど考えるうちに、
私にとって絨毯がどんな存在なのか、
少しずつ言葉になってきました。

高価なものを選ぶときに必要なこと

絨毯は、決して安い買い物ではありません。
高価なものほど必要なのは、
勢いや覚悟よりも、
**後悔しないための“根拠”**だと感じています。

慎重になるのは当たり前。
それは迷いではなく、
自分の暮らしに責任を持とうとしている証拠だと思うのです。

実は日本でも、気になっている絨毯があります。
アフガニスタンの絨毯で、京都の会社が扱っているもの。
実物を見るには京都まで足を運ぶ必要がありますが、
それも含めて、確かめてみたいと思っています。

カッパドキアは10月。
それまでに京都へ行く時間はあります。

京都で「これだ」と思えば、そこで迎えればいい。
カッパドキアでは、
本当に出会いがあったときだけ、迎えればいい。
そう整理したら、
気持ちがすっと落ち着きました。

私は、まだ減らすフェーズではない

同世代の友人の中には、
60代に入って断捨離を始めている人もいます。

いらないものを手放すことは、もちろん大切。
けれど私は、まだその段階ではありません。

まだ挑戦したい。
そのための空間を整えたい。
好きなもので、自分の居場所を満たしたい。

家具や収納をこれ以上増やしたいわけではありません。
でも、絨毯は少し違います。

絨毯は、
空間を圧迫せず、
立体を増やさず、
それでいて空気や気分を大きく変えてくれる存在。

なにより、
寝転んだときの幸福感がまったく違うのです。

旅の記憶と一緒に暮らすということ

家の中には、
旅先で選んだものや、
中国に住んでいた頃に買ったものがあります。

それを見ると、
その土地の空気や、
当時の自分の感覚を思い出します。

私は、そういうものに囲まれて暮らしたい。
ただし、
ごちゃごちゃしないレベルで。

選び抜かれたものが、
静かにそこにある暮らし。

絨毯は「物」ではなく「物語」

もし、そんな家に
新しい絨毯が一枚増えるとしたら。

それは
「物が増える」ということではなく、
物語が一章増えるということなのだと思います。

合うかどうかよりも、
自分が好きかどうか。

見るたびに、少し気分が上がる。
触るたびに、「うん」と思える。

その感覚を信じて、
私はまた一枚、
これからの時間を支えてくれる絨毯を迎える準備をしています。

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