最近、精神科医の発信を見ていて、
「自動思考」
という言葉が目に留まりました。
何かが起きた時に、
考えようとしなくても、
いつもの考え方が自動的に立ち上がる。
たとえば、
「失敗したらどうしよう」
「また私がやらなきゃ」
「ちゃんとしなきゃ」
そんなふうに、
意識して選んでいるわけではないのに、
いつもの思考のパターンが出てくることがあります。
その言葉を見ながら、
私は、
「これ、身体にもあるな」
と思いました。
身体にも、
考えなくても勝手に選んでいる使い方があります。
立つ時に、
いつも同じ側へ体重をかける。
歩く時に、
いつも同じところに力を入れる。
緊張すると、
肩が上がる。
頑張ろうとすると、
全身に力が入る。
本人は、
「今から肩を上げよう」
「右足に体重を乗せよう」
と考えているわけではありません。
長い時間、
同じような動きを繰り返してきたことで、
身体がそれを、
いつものやり方
として覚えている。
いわば、
身体の自動運転です。
私自身にも、
長い間、
「力で頑張る」
という身体のパターンがありました。
今もあります。
うまくいかなければ、
もっと頑張る。
何か起きれば、
すぐに動く。
忙しくなると、
身体にも力が入る。
昔は、
それが自分の身体の使い方だということにも、
ほとんど気づいていませんでした。
それが当たり前だったからです。
では、
自動化された身体の使い方を変えようと思ったら、
どうすればいいのでしょう。
「力を抜いて」
「姿勢をよくして」
「リラックスして」
と言われただけでは、
なかなか変わりません。
なぜなら、
身体はすぐに、
いつもの自動運転へ戻るからです。
そこで大切になるのが、
一度、
自分が今何をしているのかを、意識できるところまで戻すこと。
だと思っています。
たとえば、
いつも通りに腕を上げる。
次に、
少しゆっくり上げてみる。
すると、
「あ、ここで肩に力が入ってる」
「こっちの腕は動き方が違う」
「息を止めてる」
と、
普段は気づかないことが見えてきます。
速く動いている時には、
いつものやり方で一気に動いてしまいます。
でも、
ゆっくり動くと、
途中で何をしているのかを感じる時間ができます。
そこで初めて、
別の動き方を試す余地
が生まれます。
これは、
「今までの動き方が間違っていた」
という話ではありません。
その動き方は、
長い間、
自分にとって使いやすかったから残っています。
身体は、
わざわざ毎回ゼロから考えて動く必要がないように、
よく使う動きを自動化してくれています。
それ自体は、
とても便利な仕組みです。
だから、
自動運転を悪いものにする必要はありません。
ただ、
今の自分には、
少し合わなくなっていることもある。
そんな時に、
「あ、私は今こうしているんだ」
と気づければ、
別の選択肢を試すことができます。
私は、
思考でも身体でも、
大切なのは、
自動的に出てくるものを全部なくすことではなく、気づけること
なのではないかと思っています。
何か起きた瞬間に、
「また失敗する」
と思った。
そのことに気づく。
身体に力が入った。
そのことに気づく。
気づいたからといって、
すぐに全部変えられるわけではありません。
でも、
気づかなければ、
いつものパターンを繰り返すしかありません。
気づけば、
ほんの少し、
別のことを試せます。
ゼロポジ®で、
ゆっくり身体を動かすことを大切にしているのも、
そのためです。
正しい形を覚えるためではありません。
まず、
「私の身体、今どうしてる?」
と感じる。
足の裏はどう感じる?
呼吸はどう?
どこに力が入っている?
左右で違いはある?
今まで意識していなかったものを、
少しずつ意識の中へ戻していく。
そして、
いつもとは少し違う使い方を試してみる。
その時、
「こっちの方が楽」
「この方が呼吸しやすい」
と感じたら、
それが自分にとっての新しい情報になります。
身体は、
一度体験しただけで、
ずっと新しい使い方になるわけではありません。
また、
いつもの自動運転へ戻ります。
でも、
ゼロポジ®の感覚を知っていると、
日常の中で、
「あ、今ちょっと違うな」
と気づけることがあります。
そこで、
少し戻る。
また感じる。
また選ぶ。
私は、
それでいいと思っています。
身体を変えることは、
自分を作り直すことではありません。
まず、
今の自分に気づくこと。
そして、
必要なら、
少し違う選択をしてみること。
思考にも身体にも、
いつもの自動運転があります。
でも、
気づいた瞬間から、選択肢は一つではなくなります。
私は、
その小さな「あ。」を増やすことが、
身体と付き合っていく上で、
とても大切だと思っています。

