先日、1912年製のピアノの中に、私の名前が書かれました。
このピアノは、ニューヨークから北海道へ運ばれ、小樽と札幌の間にある小さな街のピアノホールに置かれています。
昭和10年、1935年に建てられた古民家を改装してつくられたホールです。
この物語の始まりは、コロナ禍の頃に、ピアニストの野瀬栄進さんから届いた一通のメールでした。
ニューヨークにいるピアノ仲間からロルフィングを勧められ、日本で受けられる場所を探して、私のところへ連絡をくださったのです。
当時、野瀬さんは北海道にいて、私は愛知県にいました。
そこで、オンラインでピアノを弾く姿を見ながら、一度だけロルフィングのセッションを行いました。
その後、野瀬さんの身体や演奏について、継続してやり取りをしてきたわけではありません。
ほかの場所でロルフィングを受けられたのかどうかも、私は知りません。
ですから、野瀬さんの音がロルフィングによって変わった、と私がここで書くことはできません。
けれど、今回あらためてピアノの音を聴かせていただき、ひとつの問いが生まれました。
身体の支え方やつながりが変わると、なぜ声や楽器の音にも変化が生まれることがあるのでしょう。
ロルフィングで身体を見てきた立場と、私自身がボーカルレッスンで体験していることから、私なりに考えてみたいと思います。
音を出しているのは、指先だけではない
ピアノを弾くとき、鍵盤に触れるのは指です。
けれど、音を生み出しているのは、指だけではありません。
指は手につながり、手は腕へ、腕は肩や背中へとつながっています。
背中や腕の動きを支えているのは、骨盤や脚です。
そして足は、床に触れています。
床から受け取った支えが、脚、骨盤、背骨、肩、腕を通って、指先へ伝わっていく。
身体全体のつながりの中で、鍵盤へ力が伝えられています。
ところが、身体のどこかでそのつながりが途切れていると、肩や腕、指先だけで頑張らなければならなくなります。
強い音を出そうとして、肩が上がる。
指を動かそうとして、腕が固まる。
身体を安定させようとして、腰や背中に力を入れ続ける。
もちろん、それでも音は出ます。
けれど、どこから、どのように力が鍵盤へ伝わっているのかによって、音の立ち上がりや響き、演奏する人の疲れ方は変わります。
身体全体から無理なく力を伝えられるようになると、指先だけで鍵盤を押し込む必要が少なくなります。
同じ人が、同じピアノで、同じ音を弾いたとしても、身体の中を通っていく力の質が変わる。
その違いが、音にも表れることがあるのだと思います。
声も、喉だけで出しているのではない
これは、歌うときにも同じです。
声そのものは声帯で生まれます。
けれど、声帯だけで歌っているわけではありません。
息を送り出す呼吸。
身体を支える足や骨盤。
動く肋骨や背骨。
喉や顎、舌の自由さ。
そして、身体の中にある響きの空間。
それらが一緒に働くことで、声になります。
私は今、ボーカルレッスンに通っています。
発声練習をしていると、身体の支え方が変わった瞬間に、それまで出にくかった音域の声が、驚くほど自然に出ることがあります。
高い声を出そうとして、喉だけで頑張っているときには届かなかった音。
それが、足が床に支えられ、骨盤が安定し、背骨に上への方向が生まれると、すっと出る。
声を強く押し出したわけではありません。
むしろ、喉の余分な力を減らし、身体全体で声を支えられるようになったことで、出せる音の範囲が広がったのです。
この体験をすると、音を出しているのは喉だけではないことが、よく分かります。
「整える」とは、正しい形に固定することではない
「身体を整えると音が変わる」と聞くと、背筋をまっすぐにしたり、正しい姿勢の形に直したりすることを想像するかもしれません。
けれど、私がロルフィングで大切にしている「整う」は、身体を外側からひとつの形に当てはめることではありません。
足が床から支えを受け取れること。
身体の中に、上と下の方向があること。
呼吸が、途中で止められずに通っていること。
腕や脚が、胴体から切り離されずに動けること。
必要なところは働き、必要のないところでは力を手放せること。
そうした身体全体のつながりが生まれると、力や息や振動が、身体の途中で止まりにくくなります。
音を「出そう」と頑張る身体から、
音が「通っていく」身体へ。
私は、その違いが音にも表れるのだと思っています。
音は、身体と楽器と空間のあいだで生まれる
けれど、演奏の音は、身体と楽器だけで完結するものでもありません。
身体の動きが楽器に伝わり、楽器が振動し、その振動がホール全体へ広がります。
そして、空間から返ってきた響きを、演奏する人は耳だけでなく、身体全体で受け取っています。
床から伝わる振動。
空気の中に広がる響き。
壁や天井に届き、戻ってくる音。
演奏者は、その響きを感じながら、次の音の強さや間、鍵盤への触れ方を変えていきます。
身体と楽器。
楽器とホール。
そして、ホールと身体。
そのあいだを音が行き来しながら、演奏が生まれていく。
野瀬さんは、1935年に建てられた古民家をピアノホールに改装する際、ピアニストとして、空間の響きに細やかに向き合ってきたそうです。
古民家の形を残しながら、1912年製のNY Steinwayが最もよく響く場所をつくっていく。
それは、ただ古い建物の中にピアノを置くことではありません。
ピアノと建物が互いの響きを受け取りながら、新しい音を育てていくことなのだと思います。
ホールは、音を入れておく箱ではありません。
演奏する身体と楽器に続く、もう一つの共鳴体なのかもしれません。
身体が変わると、表現の選択肢が増える
ロルフィングの目的は、良い音をつくることだけではありません。
けれど、身体が無理なく支えられ、呼吸や動きの自由が増えることで、それまで難しかった表現ができるようになることがあります。
出しにくかった音が出る。
届かなかった音域に届く。
長く演奏しても、疲れにくくなる。
強く押し出さなくても、音が遠くまで届く。
小さな音も、大きな音も、自分で選べるようになる。
身体の自由が増えることは、表現の選択肢が増えることでもあります。
楽器を取り替えたわけではない。
声帯が別のものになったわけでもない。
それでも、音を生み出す身体の支え方やつながりが変わることで、同じ人から、これまでとは違う音が生まれることがある。
身体は、楽器の前にある、もう一つの楽器なのかもしれません。
そしてロルフィングは、その楽器を「正しい形」に調律する仕事ではありません。
その人が、自分の身体から生まれる音や動きを、これまでより自由に選べるようにしていく仕事なのだと思います。
ロルフィングは、姿勢を正しい形に直すためのものではありません。
手技によって身体の構造や組織の関係に働きかけながら、身体全体のつながり、呼吸しやすさ、動きやすさを育てていくセッションです。
愛知県刈谷市の自宅スタジオで、女性のためのロルフィングセッションを行っています。
また、演奏や発声、日常動作などを実際に行う様子を画面越しに見ながら、身体の支え方や動きの変化を一緒に確認するオンラインセッションも可能です。
遠方にお住まいの方や、演奏・発声時の身体の使い方について相談したい方は、お問い合わせください。
詳しくは、ロルフィングのご案内をご覧ください。

